適応障害
という記事やニュースで一時「適応障害」が検索ワードトップ10入りしていました。
やはり誰もが適応障害になりうるのだなと改めて思います。
数ヶ月前までは、まさか私が精神疾患になるなんてありえないと思っていました。
なぜならばこれまでどんなに過酷な状況に置かれても大丈夫だったからです。
しかし、同じ環境に置かれても自分の周りの人たちや社会の状況によっては今までは大丈夫だったひとだっていつでも適応障害等の精神疾患になりうるのです。
適応障害と聞くと、未だに「怠けてる」「甘えてる」「みんな同じ環境でもがんばってるのに」なんていうひとがいます。
「適応障害」この言葉がそんなワードを引き出してしまっているような気もします。
自分でも適応障害と診断されたとき、社会に「適応」できなかった自分が悪いんだと思いました。ただ、どこかでみたのですが社会にがんばって適応しようとした結果なったのだという言葉に少し救われた気持ちになりました。
自分はがんばりすぎたのだと、今は少し休んでもいいのだと許された気持ちがしました。
そもそも、適応障害になる人は「真面目すぎる人」が多いようです。
適応障害になって今までの働き方を振り返ってみました。
子どもたちのためにという一心でがむしゃらに働いていました。
私にとっては長い教員人生の中のたった1時間の授業だとしても子どもたちにとってはとても大事な1時間だと思い、授業1時間1時間とても時間をかけて作り上げていました。
学校では、30代後半~40代の教諭(正規で雇われている先生)の割合がとても少ないです。そのため、20代後半からは、中堅ポジションで、行事で立ち上がる係ではだいたいチーフをしていました。
教諭の中では中堅でも、講師(非正規の先生)も合わせると、まだまだ若手の方です。
なので、年上で私よりも教員の経験豊富な先生たちの上で仕事をすることになります。
そんな環境だったのでより真面目にしっかりしなきゃと勝手に背負い込むようになっていきました。
ただ、特別支援学校にいたときには、そんな私の姿をみた先輩の先生が声をかけてくれたり、後輩の先生が「雑用はやります!!」と率先して仕事をしてくれたりしていたのでなんとかやってこれたのだと思います。
異動して環境ががらっとかわり、以前よりもしっかりしなければならない立場になりました。
加えて私の下についてくれていた先生は、初任の先生と問題ありな講師の先生。。。
どうやってやっていけというのでしょうか。
がんばってがんばってがんばっても仕事はおわらない。
仕事を振るにも1から説明しなきゃいけない
仕事を降ったら降ったで遅すぎる
そして、自分で考えてやろうよ。。。という仕事も全部聞いてくる
なんなら一人でできるの???
そんな環境とどう考えても3人分くらいの仕事を一人に押し付けられ(管理職も容認というか管理職から仕事がふってくる)
昨年度の先生がやった責任を今年取らされて会計関係も特別支援学級だけ勝手にやってと言われ
どんどん周りが真っ暗になっていく感覚でした。
それでも仕事はやらなきゃ。
子どもに迷惑がかかると必死にやっていました。
今考えると異常な働き方をしていました。
寝る時間も食べる時間も削って仕事をしていました。
たぶんどんなベテランの先生が私のポジションに入ってても潰れてたと思います。
今、冷静になって考えるとふつふつと管理職への怒りが沸いてきます。
でもあのときは、出来ない自分が悪いんだと自分ばっかり責めて
余計に追い詰めてしまっていました。
心療内科にかかるようになってもっと自分のことを大切にしなきゃいけないとおもいました。
今、必死に毎日を戦ってる人たちがたくさんいると思います。
どうか、時々自分の声を聞いてあげてください。
適応障害は誰もが成りうるものだけど
できれば私と同じ苦しみを味わって欲しくない。
なんだか支離滅裂な文章になってしまいましたが、
自分を大切にしましょうということで今日の記事はおしまい!